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たい”とそんなジレンマに悩まされた話を聞きました。大地震という特別な事情の中では、みんな手探りの状態でやるしかなかっただろうと思います。もし、普段から支援の組織がしっかりしていたら悩みも少なかったかも知れません。
あれから2年近くが過ぎようとしています。ボランティア元年と言われる程、高い評価を受けた人たちも少なくなり、今も多くの人が仮設住宅で暮らしています。 自立できないひとり暮らしの方や、高齢者の悲しいニュースが度々報じられ、胸の痛む思いがしました。そう思う私自身、少しボランティアをしただけで、積極的にもう一歩踏み込んだ支援もせず、被災した人たちの痛みが本当に分かっていただろうか。対岸の火事を見ている心境ではなかっただろうか。
このことは、エイズ問題、その他の数多くの出来事に対しても同じで深く反省させられました。
ボランティア活動にも限りがあります。その人たちに期待するばかりでなく、行政がもっと責任をもって支援の仕組みを作り、被災者を支える体制を立てることが、震災の教訓を生かすことになると思います。
もうすでに取り組まれているでしょうが、私たちが住んでいる地域の災害に対する支援のシステムがどのようになっているのか、震災の大惨事を風化させなためにも確認していくことが大切です。

 

「阪神・淡路大震災と私」

 

牧 野 世紀子
(豊中市)

 

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朝、大きな揺れの中で目を覚まし、「いつもの揺れと違う」と叫んでいました。暫く揺れの収まるのを待ちました。隣のリビングが一面のガラスの海と化しておりました。 何はともあれ、ストーブ、テレビを点けました。後片付けを急ぎながら、テレビより次々に映し出される被害の様子を手を動かしながら聞いておりました。
現在の被災地の様子などは、今では新聞などで時折伝えられています。では、私はどうしていたのか。青春時代、子育てを始めたよーく知っている神戸の街、六甲、芦屋、西宮。しばらくは、テレビを見ることで被害の状況の把握、知人の安否に過ごしました。
色々な情報がある中で、私の所属している団体が動き出していることを知り、西宮市役所に駆けつけました。ボランティアとして登録。すぐに公共施設の清掃奉仕、地図を頼りに移動する道路が寸断されていたり、土埃の中を進みます。道すがら目にする物は、マンションにひびが入り傾き、屋根の倒壊、家財道具の数々の散乱など。
「○○小学校にみんな元気でいます」と斜めに傾いたドアに張ってある横に、そっと花束が置いてあるのを見ると、自然に頭が下がり手を合わせ冥福を祈らずにはおれません。日を追うごとに、全国から救援物資が届けられる。その仕分け作業も必携の白マスクをして続けます。

 

 

 

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